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藤兵衛丸(とうべえまる)石垣解説-宇和島城石垣指南その2

印刷用ページを表示する 記事ID:0044002 更新日:2020年8月6日更新

藤堂高虎創建期の石垣群!

藤兵衛丸の石垣群

高さ:9m~13m
勾配:4寸5分~5寸勾配(約24~26度)
石材:砂岩 ◎宇和島ではよく採れる石です。

 藤兵衛丸周辺にある石垣は、江戸時代に修理はされていながらも、いずれも藤堂高虎の創建時期となる慶長6年(1601)頃の古い石垣の特徴をとどめています。絵図の(1)の石垣は、城内では2番目の高さとなる約13mの高石垣で、無加工の自然石を用いて、高虎が手がけた石垣の特徴とされている反り(そり)をもたない直線的な勾配で積み上げられています。この石垣が普請された当時では、国内屈指の高さだったとも言われています。
 そして絵図の(2)の石垣は城内最古と考えているものです。規格性に乏しい自然石材が用いられ、多くの間詰石が使われています。隅角部は、石材の長短を交互に積み上げていく『算木(さんぎ)積み』技法の中でも、短面が内側に入り込む『痩せ角(やせすみ)』と呼ばれる古い技法です。これらは、慶長よりも古い文禄年間(1590年代)に見られる特徴で、高虎創建より遡る可能性があります。

絵図
図1.江戸時代に描かれた藤兵衛丸の絵図(青矢印範囲を藤兵衛丸の石垣としています。)

高石垣
写真1:藤堂高虎創建期の石垣の代表格といえる石垣です。(絵図の(1)の箇所)

藤兵衛丸の最古の石垣
写真2:城内最古の石垣として考えられる箇所です。(絵図の(2)の箇所)

匠の覚書

 角の部分を隅角部(ぐうかくぶ)、間の部分を築石部(つきいしぶ)と呼びます。さらに隅角部は角石(すみいし)と角脇石(すみわきいし)に、築石部は大きな石材の築石とその間を詰める間詰石(まづめいし)に分けられます。
これらの石の大きさ・形・加工や配分の度合いなどの特徴を見極めながら、年代を推測します。同じ面でもその違いがある場合、それは修理の痕跡として考えています。ただ、交換や再加工をせず元の石材のまま修理される場合は、その見極めは難しくなります。

痩せ角となる隅角部

写真3:『痩せ角』の技法が使われている部分で、矢印の面に内側への入り込みが見られます。点線より上部は長短が乱れて算木積みとなっていないため、修理されていると考えられます。