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県指定無形民俗文化財
いさ踊り
いさ踊り(諫踊・勇踊)の由来については、安政三(一八五六)年七月一五日付の吉見静寛の『諫踊由来記』に詳しく、それが現在も語り伝えられている。その概略は次のとおりである。
津の浦地区の海は宇和海きっての難所であり、冬場はことに難破する舟が多く、村人は亡魂や妖怪などに悩まされていた。そこで、その水死者の亡霊を慰めるため、丹後の国の但馬殿を訪ねて「いさ踊り」二〇条を習い、盆踊りをとり行ったところ、不思議にも妖怪の出現があとを絶った。その後、若衆頭の浅之進が、「いさ踊り」の中止を主張していたところ、さきに誤って溺死した長次郎(讃岐の鷹見島からの出稼者)の亡霊が取付いて、浅之進の口を借って「いさ踊り」の継続を乞うたため、それ以後例年旧暦七月一五日の明けがたからこの踊りを行うことになった。
三艘の船を横にならべて結び、上に板を渡して踊り場と囃子の場を設け、海上に漕ぎ出して踊るのが本来の姿である。
踊り手は白装束に黒の襷・黒帯・赤い鉢巻をしめて、八人の青年が右手に大きい紙垂を持ち、それをふりかざして約四時間ばかり踊る。一八歳で新入りし五五歳で退くという。
踊りは二〇条あったが、集落に大火があって四条の記録が焼失し、現在は漁場踊など(竜馬踊)・月の踊・丹後踊・浦島踊・薩摩踊・屋形踊・恋の踊・ひとよ踊・榎踊・大黒踊・金踊・鴬踊・鎌倉踊・筑紫踊・駿河踊・綾の踊の一六条の盆踊りで、娯楽的要素には乏しく、宗教的意図の強い敬虔な踊りである。
一五日午後は新仏に捧げる踊りとなり、毎年欠かさず踊らないと、祟があるとされているので、踊りつがれて既に約三百年の伝統を持っている。今は八月一三日・一四日に総ざらえをし、一五日には陸で踊られる。