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市指定有形民俗文化財
木造八十八体仏 八八躯
お大師様といえば、もちろん弘法大師空海のことであるが、その大師信仰・八十八ヶ所信仰は、その土地柄、宗旨の如何にかかわらず、古来まことに盛んである。
四国各地には、いわゆる地四国と称して八十八ヶ所の札所を模した小霊場があるが、吉田町では医王寺および喜佐方の河内にその例がある。せいぜい一時間もかけて山内をめぐれば、四国八十八ヶ所の霊場を巡礼したと同様のご利益があるというわけである。
また、巡礼の時間をさらに節約して、居ながらにして札所巡礼をこころざしたものに長福寺の八十八体仏がある。いずれも木像で、坐像あり立像あり、像高は一六~三九cmとさまざま、仏さまもまたさまざまである。
仏像はおそらく江戸時代後期頃に地方の仏師が四国八十八ヶ所の本尊を模刻したと思われる。その台座には、それぞれに札所の番号、寺名と寄進者の名が刻まれている。寄進者には武士あり町人あり、個人で、また二人から四人で一体を施入したものもある。御舟手組中とあるように組内の浄財を集めて寄進をおこなっているものもあり、他寺からの施入例もある。また吉田藩内のみならず、宇和島藩の商家の名もみえる。
四国八十八ヶ所第四十二番札所三間町仏木寺の門前左側の石柱に「高野山教会所 左へ 明治三十一年五月」と刻まれており、その「教会所」とは当寺を指している。愛南町御荘の第四十番札所観自在寺より海路で、又は陸路で吉田町長福寺を経由しての巡拝ルートを示す名残りであろう。
大師堂は、休息だけでなく宿泊所としても利用され、そこにこの八十八体仏がまつられていたのであり、今もなお境内に大師堂の石垣が残っている。
長福寺は浄土門であるが、そこには宗旨を超越した大師信仰の姿があり、また四国でも他には例がないといわれる木造八十八体仏として、民俗文化史上貴重な存在となっている。
この八十八体仏に対面していると、体が不自由なため山をめぐることが困難な人々にも、一堂への参拝で八十八ヶ所巡礼のご利益ありとするやさしい心遣いが感じられるのである。