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市指定有形民俗文化財
五ツ鹿古面 五面
江戸時代末から大正一〇(一九二一)年までは五ツ鹿であった。末広伊作が嘉永二(一八四九)年に描いた宇和津彦神社の祭礼絵巻を見ると「裏町一丁目」と書いた赤いのぼりに続いて、五ツの鹿が練っている。鹿の面は白い色調で、一見犬のようなかわいらしい穏和な感じのものである。
ところで、この絵巻に画かれた五ツ鹿の古面が、のぼりや衣装とともに、旧裡町一丁目自治会の人々の手でりっぱに保存されている。現在使われている八ツ鹿の面は、実際の鹿によく似せて作られた写実的なものである。東北地方の鹿おどりは、野生の鹿の荒々しさが強調されていて、それぞれのよさをもっている。この五ツ鹿の古面は、鹿の愛らしさが象徴的に表現された、特色のある作品である。鹿踊りが、俗に「しかの子」と親しんで呼ばれるのも、なるほどと思われる。
こうしたやさしい感じの鹿の面は、南予の他の地域にも見られ、南予地方の鹿踊りがもつ優雅な芸術的特色をよく表わしているといえるであろう。この優雅さは、音楽的にも舞踏的にも、共通していえることである。
この古面の裏を見ると、「安政四丁巳六月当町森田屋磯右衛門源吉晶作」とあり、この面が一八五七年の作であること、当時宇和島城下に、面作りの職人がいたことがわかる。
鬼北町清水にも五ツ鹿の古面があり、「嘉永六年丑八月吉日 宇城裏町壱丁目 森田屋磯右衛門作」と記されている。裡町のものより四年前に、同じ面作り師により作られたものであるが、惜しいことに塗りかえられていて、原形が損なわれている。
なお、裡町一丁目 森田屋磯右衛門作の五ツ鹿の古面としては、嘉永四(一八五一)年作のものが西予市城川町下相、明浜町狩浜などにも伝わっている。
この五ツ鹿古面は、昭和三六、七年頃まで、和霊神社夏祭りにも使われていて、踊られていたということである。