本文
市指定有形文化財(書籍・典籍・文書)
三浦田中家文書 貼 地図・新聞・市街実測図・角筆
三浦田中家文書は、宝暦三(一七五三)年七月、田中久兵衛が宇和島藩三浦(東三浦・西三浦)の庄屋役に就任して後、六代・一二〇年にわたって田中家に伝えられている文書を中心とした史料である。さらに、田中家庄屋以前の庄屋であった大塚家の寛文(一六六一~一六七二)以来の文書も含んでいる。
その内容は、藩政時代の庄屋所、維新後の戸長役場、村役場を中心とした行政史料群、さらに網元、地主・豪農・第三等郵便局長としての経営史料群、そして田中家の私的活動に伴う記録・書簡類・書籍等の資料である。
これらの文書を中心とした史料をさらに分類すると次のようになる。
「田中家文書調査会」(代表・千葉大学教授菅原憲二氏)によると史料の総点数は二万七〇〇〇点に及んでおり、同会編『宇和海浦方史料・三浦田中家文書』全四巻に採録されている。
これらの田中家文書から藩政時代及び明治期の浦方における漁業・農業・商業・物流・人口等の実態が浮かびあがる。また各枝浦からの訴願の文書等と藩庁からの上意下達の達書・触書・布告等からは御城下組の動向や藩の浦方行政形態がわかってくる。
史料のうち注目すべきものは、天保一三(一八四二)年、五代田中盛久が私財を投じて藩の絵図方役人に依頼して作成した彩色の両三浦絵図である。八畳にも及ぶ大きさで正確な丈量に基づいており、近世の制作としては全国的にも珍しい。
この他にも明治二六(一八九三)年~二八年の「宇和島新聞」、明治四三年制作の「宇和島市街実測図」、明治三〇年代の宇和島の風景写真の「絵葉書」なども史料として興味深い。また鉛筆普及以前の筆記具である象牙の「角筆」は、所有者がはっきりしているものは全国に四点しか存在しないものである。
田中家文書は近世から近代にかけての漁村史・社会経済史・家政経営史等の研究史料として、宇和島から全国に発信できる学術的かつ地域共有の文化的資源である。地元の「田中家史料保存委員会」は文書管理のみならず「田中家文書調査会」の合宿調査や分類・史料集発行について公民館と共同で支援してきたことも注目されている。