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県指定有形文化財(書跡・典籍・古文書)
高田八幡文書 二巻
高田八幡神社の由緒は古いが、創建については明らかでない。「宇和旧記」記載の当社棟札写しによれば、天文一三(一五四四)年越智通孝が当社を再建、また天正一〇(一五八二)年には、越智通顕が再建したとある。この文書は、一〇通の文書を巻子二巻に装丁したもので、内容は鎌倉時代末期から室町時代の終わりにおよび、当社に関する寄進状、譲渡状、願文、下知状からなる。
徳治二(一三〇七)年三善右馬助の寄進状、嘉暦三(一三二八)年平家盛の願文、正平一六(一三六一)年越智資俊下知状などが含まれている。
これによれば、施主である津島越智氏は、当地方の有力な在地領主であったと考えられる。その由来については明らかでない。西園寺氏が南予の支配者になってからは、その統治下に入っていたと考えられる。
この文書は、中世史料に乏しい宇和郡の歴史を考える上に重要なものである。
徳治2(1307)年 三善右馬助の寄進状
正和2(1313)年かくれん寄進状
嘉暦3(1328)年平家盛の祈願文
暦應2(1339)年越智俊氏願文
正平16(1361)年越智資俊下知状
天授4(1378)年光家譲渡状
天授4(1378)年おとくまに譲渡状
應永29(1422)年続徳治譲渡状
寛正3(1462)年高田丸寿丸寄進状
大永8(1528)年津島実俊寄進状