本文
市指定有形文化財(工芸品)
務田出土古銭 銅銭一二〇枚
この古銭は、昭和三〇年二月一九日、三間町務田富ヶ谷一番地(若宮神宮の下段)において、富ヶ谷池の土手改修の土砂採取中に、地下一mより発掘された中国古銭である。
古銭は、高さ四一cm、周囲九六・五cm、口径一五cm、底部直径一九・五cmの瓶に、重さ三六・七kg、その個数一〇二一一個の孔あき古銭が納められていた。
容器の瓶は現在行方不明であるが、色調は釉薬を使用せず褐色にやや紫色を混じえた色相と、上部に簡単な条痕模様があると報告されている。重さは七・一kg、古備前焼の?器である。
蓋は、厚さ二・五cm、幅約一五cm、中央部の長さ二一cmの不定形な自然石緑泥片岩の板石を利用していたという。
この古銭一〇二一一個のうち無作意に三〇〇〇個の種類を調査したところ四四種であった。個数の多い種類を挙げると、皇宋通宝三三二個、元豊通宝二八一個、永楽通宝二四一個、熙寧元宝二三一個、元祐通宝二一八個であった。
一〇二一一個の内、一二〇個の古銭が現在市教育委員会で管理されている。
一二〇個の古銭の中には、古くは開元通宝(鋳造年不明)もあり、その他唐時代の年号をもったのも多量に含まれている。
わが国初期の官銭である和同開珎(七〇八)は、この開元通宝を模して造られたといわれている。その後、宋・元・明の各時代(八〇〇年間)を網羅し、明銭の中でも良質貨幣の代名詞ともなった永楽通宝をもって終わっている。
古銭の規模は、円形で径三・二cm~三・五cm。中央に一辺一cmの方形の孔のある銅銭である。
銭文は、二字の年号と通宝または元宝の二字で計四字である。字体は、真・行・篆書でかかれている。
古銭の種類が四四種の多岐にわたり、その姿が極めて健全に伝承されているこの古銭は、町内出土品という点で貴重である。
務田古銭が土地の中に埋められていたことについては、今のところ文献も発見できず、埋蔵物件に関しての口碑、伝説とも全く皆無であるため、推定は困難である。