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市指定 伊達秀宗奉納国徳作の太刀・伊達秀宗奉納国徳作の薙刀

印刷用ページを表示する 記事ID:0002275 更新日:2015年7月1日更新

市指定有形文化財(工芸品)

伊達秀宗奉納国徳作の太刀 一口
伊達秀宗奉納国徳作の薙刀 一口

  • 所在地 伊吹町
  • 所有者 八幡神社
  • 指定日 昭和四九年二月一二日

伊達秀宗奉納国徳作の太刀の画像
伊達秀宗奉納国徳作の太刀

伊達秀宗奉納国徳作の薙刀の画像
伊達秀宗奉納国徳作の薙刀

 八幡神社は板島郷の総鎮守の氏神である。この神社に対し、初代藩主伊達秀宗は入部直後から手厚い庇護を加えた。元和三(一六一七)年には総奉行山家清兵衛公頼に神殿の屋根のふきかえを命じ、同九年には鳥居を建てている。

 秀宗奉納の太刀は、寛永二(一六二五)年八月、宇和島藩の刀匠国徳に命じて制作させ、八幡神社に奉納したものである。太刀の長さは八一・九cm(二尺七寸三分)、反り三cm(一寸)である。銘は、表に「寛永二年八月吉日筑前住小林筑後掾藤原国徳作」、裏に「奉寄進御太刀奥州伊達侍従藤原朝臣秀宗」とある。

 秀宗奉納の薙刀は、同じく秀宗が、寛永二年八月、刀匠国徳に命じて制作させ奉納したものである。薙刀の長さは五三・四cm(一尺七寸八分)、反り三・九cm(一寸三分)である。銘は、表に「寛永二年八月吉日筑前住小林筑後掾藤原国徳作」、裏に「奉寄進御長刀奥州伊達侍従藤原朝臣秀宗」とある。これによって、太刀と薙刀が同時に奉納され、秀宗の八幡神社に対する崇敬の念の深さをうかがうことができる。

 国徳の刀剣史上の系統はよくわからないが、京都堀川派ともいわれている。伊達家史料『元和四年 分限帳』に、「七人分拾石 国則少助」とあるのが、この国徳と考えられる。こう考えると、国徳は筑前国(福岡県)の出身で、姓名は小林勝助である。京都で刀工としての修行を積み、秀宗の宇和島(当時板島)入部(元和元年=一六一五)と同時に来住した宇和島藩の刀工の源流となる人物といえよう。銘文の資料的価値の高さとともに興味深いことである。


文化的景観
埋蔵文化財