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市指定 初代国正八幡神社奉納の太刀・初代国正山王神社奉納の太刀・初代国正愛宕神社奉納の宝剣

印刷用ページを表示する 記事ID:0002271 更新日:2015年7月1日更新

市指定有形文化財(工芸品)

初代国正八幡神社奉納の太刀 一口

  • 所在地 伊吹町
  • 所有者 八幡神社
  • 指定日 昭和四五年二月一〇日

初代国正八幡神社奉納の太刀

初代国正山王神社奉納の太刀 一口

  • 所在地 丸之内
  • 所有者 和霊神社(丸之内)
  • 指定日 昭和四五年二月一〇日

初代国正山王神社奉納の太刀

初代国正愛宕神社奉納の宝剣 一口

  • 所在地 野川
  • 所有者 宇和津彦神社
  • 指定日 昭和五二年一一月三日

初代国正愛宕神社奉納の宝剣

 宇和島藩には国正と国房との二刀工の系統があり、それぞれ代々続いて幕末までおよんでいる。

 とくに、初代の国正は伊予を代表する名工といわれ、赤穂義士の大高源吾が討ち入りのとき使用した刀も、この国正の作であった。

 寛永六(一六二九)年土佐の国二宮(現宿毛市)に生まれ、子どものとき父に伴われて宇和島に移り、刀鍛冶の修行をして慶安五(一六五二)年藩の御刀鍛冶に取り立てられ、寛文四年には駿河守の号を受領し、宝永二(一七〇五)年に亡くなった。

 この初代国正が壮年時に宇和島の神社へ奉納した豪壮、雄大な大太刀が二口保存されている。

 一つは伊吹町の八幡神社に保存されているもので、刃の長さ一一六・五cm、中心の長さ四一・六cmのもの。中心の表に、

 「伊達大膳大夫内土洲二宮生縁従四歳予洲宇和島住西本市右衛門尉藤原国正生年三十四歳」の銘があり、裏には、

 「八幡大菩薩奉寄進御太刀一腰三尺八寸寛文二年壬寅八月吉日」とある。(寛文二年は一六六二年)

 いま一つは和霊神社(丸之内)に保存されているもので、刃の長さ一三五・五cm、中心の長さ四八・五cmのもので、表に、

 「伊達大膳大夫内土洲二宮生縁従四歳予洲宇和島住西本市右衛門尉藤原国正生年三十五歳」裏には、

 「三王権現奉寄進御太刀一腰四尺五寸干時寛文三癸卯年八月吉日」の銘があり、八幡神社奉納の翌年に、宇和島城鎮守の神であった山王神社(いまの護国神社のところにあった)に奉納されたものであることがわかる。山王神社は明治四一年に和霊神社(丸之内)に合祀されたので、いまは和霊神社(丸之内)の所有になっている。

 二つとも打ちおろしの荒身のままで、地肌、刃文など見えないが、和霊神社(丸之内)の太刀を、宇和島の刀研師、浦中六十郎氏が一部研ぎ上げてみたところ、小板目のよくつんだ中直刃足入れの見事なできであった。専門家も高く評価している。

 とにかく、この二口の太刀は、郷土の名工が郷土の神社へ奉納した雄大豪壮な大太刀で、また詳細な銘文は資料的価値も高く、貴重な文化財である。

 宇和津彦神社所蔵の宝剣は、初代国正が、寛文四(一六六四)年六月二四日、愛宕山上にあった愛宕神社に奉納したものである。長さは五三cmの両刃の剣で、その鞘書に「愛宕山大権現奉寄進御宝剣」とある。中心の表に、

 「伊達遠江守内西本市右衛門尉予洲宇和島住藤原国正生年 卅 六歳」の銘があり、裏には梵字四字があり、

 「奉寄進宝剣寛文四天甲辰六月廿四日」とある。

 藩祖伊達秀宗は、元和元(一六一五)年一一月愛宕山大権現を建立し、二代宗利は、寛文七(一六六七)年に権現堂を修復している。初代国正は、このように藩主の厚い庇護を得た愛宕神社に、珍しい宝剣を寄進した。その鞘書と銘文の資料的価値も高い。

 愛宕神社は、明治に入り宇和津彦神社に合祀されたので、この宝剣は、現在同社に所蔵されている。

初代国正山王神社奉納の太刀の画像
初代国正山王神社奉納の太刀

初代国正八幡神社奉納の太刀の画像
初代国正八幡神社奉納の太刀


文化的景観
埋蔵文化財