本文
市指定有形文化財(彫刻)
木造如意輪観音坐像 一躯
慈済寺は貞和四(一三四八)年、浄室和尚の開山といわれ臨済宗である。その後、再三火災に遭ったが、この本尊だけは、そのたびごとに難をのがれたことから「火伏せ観音」の異名で信仰を集めてきた。
明治四三(一九一〇)年、庫裏建設中に失火により全焼したとき、時の禅蜜和尚が観音像を抱き猛火の中をゆうゆうと歩いて退避したが、一切のやけどを負わなかったという。その折、観音像を物に打ち当てて宝冠の一部を欠いだとのことである。
如意輪観音は、如意宝珠をもって衆生に財宝を与え、輪宝を転じて衆生の迷いを破る菩薩だといわれている。初めは二臂(腕が二本)の仏像であったが、平安時代以降は六臂の複雑なスタイルとなった。
容姿は、左足のはらに右足のはらを重ね、右足を立膝にして、左手で体を支える輪王坐とする。右第一手を頬に当てて思惟の姿をとり、左手に輪宝・蓮華、右手に宝珠・念珠を持つ。
ところが、この如意輪観音像は、古い形の二臂である。二臂では普通、左足を前に垂らし、右足を左足の上に載せて座る半跏踏下であるのに、この本尊は珍しく立膝をする輪王坐形式である。ここに、第一の大きな特色がある。
さらに、左手で宝珠を持ち、立膝を右手で抱えこむという珍しいポーズである。
それで大切な輪宝は、右手で持つことができないので胸飾の中央一番下に飾りつけている。これらも本尊の特徴である。
この如意輪観音像は、寄木造で像高七〇cmの金泥仕上げ。室町時代の作と言われ玉眼をはめている。作った仏師は不明である。
目は半眼で、小さな口元がとがっている。やや肩が張り、菩薩であるのに条帛や天衣はまとわず、如来のように袈裟を両腕に通して男っぽい。
台座の立派な蓮華に座り、こまやかな細工の宝冠に魅せられ、光背は背負おうともしていない。
装飾の限りを尽くした宝冠だけに、右側面の欠損が惜しまれる。