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市指定 木造千手観音立像

印刷用ページを表示する 記事ID:0002265 更新日:2015年7月1日更新

市指定有形文化財(彫刻)

木造千手観音立像木造千手観音立像 一躯

  • 所在地 津島町山財
  • 所有者 報恩寺
  • 指定日 昭和四四年三月一日

 報恩寺は、「建立年月は詳らかではないが、寛永三(一六二六)年桃林の開山、後醍醐天皇の尊牌があったが、大正九(一九二〇)年五月二六日の火災により焼失した」と『津島町誌』に見えている。宗派は、臨済宗妙心寺派である。(桃林は観蔵寺現仏海寺住職)

 この寺の本尊は、千手観音である。

 千手観音は、最も複雑な形をした観音菩薩である。正しくは千手千眼観自在菩薩という。十一面と千手とその手に千眼を持って、衆生を済度する大悲観音ともよばれている。

 日本では、奈良時代から千手観音信仰が盛んになり、仏像も造られることになった。ところが、本尊のように千の手はないが、中央の二手のほかに四〇本の手を造り出している。それは、一本の手で二五の世界の衆生を救うので、都合千の手になるというのである。四〇本の手には、それぞれ持物がある。

 『津島の文化財』では、「木造立像、像高四九cm、詳しい由来は不明だが、西行法師(一一一八~一一九〇)の念持仏であったという説もある。平安朝時代の作風を残した名作。ほとんど完全な姿で保存されている」と見えている。

 少し開いた口もとは、今話しかけているようであり、気品のある顔立ち、均整が整い充実した肢体。多面・多臂(腕)であるがプロポーションは美しい。

 条帛・上着の生地は薄く、両肩を覆い、裳は生地の厚みを十分感じさせながら蓮肉に達している。したがって、彫りも上半身は浅く流れ、下半身の裳の部分は深く左右に微妙に広がっていて、衣文も襞も重厚である。にもかかわらず、裳の内側にある両足の線を感じさせる特殊技法を用いているのであろうか。

 四二本の手のうち、胸の前でぴたっと合掌している両手を除く残りの四〇本の手であるが、左右両手で共同作業をしているのは、下腹部の前で宝鉢を戴く両手だけである。他の三八本の手は独自に、それぞれの持物で衆生を救おうとしている。

 頭部十一面化仏の配列は、正面に一面を略して二面、背面に一面を加えて二面、左右に四面、髪の毛を結った髻に一段高く二面を配置した二段式である。計一〇面であるが、本面を加えて一一面となる。頂上の阿弥陀仏面は数に入れない。

 天冠帯や宝玉を飾った美しい宝冠を戴いている。

 宝珠つき重厚な蓮華座は、本尊と同時期の台座であろうか、舟形光背は江戸期のものである。


文化的景観
埋蔵文化財