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県指定有形文化財(彫刻)
木造観世音菩薩坐像 一躯
津島町のほぼ中央部で、増穂川が岩松川に合流する地、岩渕の南側山麓に満願寺がある。かつては真言宗であったともいわれ、弘法大師をまつった大師堂も現存している。
櫻田院梅軒道郁居士(櫻田数馬親茂)なる位牌背面に「宝永七庚寅(一七一〇)天四月七日、満願寺再造営発起施主也依記之湛巌」とあり、宇和島佛海寺の湛巌和尚(享保一二年寂)を開山として、観世音菩薩像を本尊と仰ぐ、臨済宗妙心寺派の法燈を燈す古刹として現在に至っている。
観世音菩薩坐像は、像高九〇cm、一木造の古風な構造のもので、内刳りを施して背板を矧ぎ、粗豪な作風を示している。像容もあまり整わず、それだけに地方色豊かで興味深いものがある。製作年代は、平安時代中ごろとみられる。
観音菩薩の坐像は、比較的少ないし、この界隈で見かけるのは珍しい。
長い脚部を吉祥の半跏趺坐に折って広い空間を作り、その膝の上に宝冠や胸飾りで飾った上半身をのせて、貫禄十分の観世音菩薩坐像を作り上げている。
本像はそれに加えて左手に蓮華を持ち、右手は大きく掌を上に開いて与願印を結んでいる。貫禄十分の観世音菩薩坐像を作り上げており、諸観音菩薩を統括する聖観音菩薩の威風を示している。
昭和三九年五月の文部省文化財保護委員と愛媛県教育委員会の共催による霊場八十八箇所を中心とする文化財総合調査が行われ、乗松茂氏らによって、『愛媛の文化(創刊号)』に調査報告がなされ、薬師如来坐像とともに、平安中期の制作と高く評価されるに至った。