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県指定有形文化財(彫刻)
木造大日如来坐像 一躯
仏木寺は、四国霊場四十二番の札所で、真言宗御室派の古寺として知られる。『仏木寺縁起』によれば、弘法大師が当山に一泊したとき傍らの楠に金剛界の大日如来像を刻んだのが、仏木寺の起こりといわれる。鎌倉期には西園寺家の菩提寺として栄えたという。
昭和三六年、宇和島市出身の京都国立博物館美術室長毛利久博士が調査・発表された『愛媛県南部の彫刻』をまとめると次のようになる。
本尊の大日如来像は、坐高一二〇・二cmの智拳印を結ぶ金剛界の大日如来で、カヤ材の寄木造、彩色像である。頭部と上半身は通しで、前後に矧ぎ、内刳りを施す。下腹部のあたりで前後に底板風のものを残し、胎内を閉じるようになっている。膝部は、一本の横木を矧ぎ、内刳りとし、両手は肩・臂・手首などで寄せている。
頭上には八角の箱形宝冠を頂くが、これは頭部より彫り出されたもので、上膊や手首に刻出された釧と共に古風な技法。眉間の白毫は、水晶でなく木造の渦巻きである。眼は彫眼で大きく開き、厚く大きな上下の唇をかたく結ぶ。その上、眉のカーブも誇張され、鼻の形も小鼻が開いている。
両肩にかかる天衣や左肩から右脇にさがる条帛などに刻まれる襞が、不恰好にもたつく点からも地方の作風を知ることができる。
同じ衣文でも、膝部が鎌倉彫刻の本格的な刻出手法を示すもので、特に裳もの折り返しの縁は、特色ある波状風に刻まれ、明らかに宋風の影響を認めることができる。
さらに、当像の胎内背面に次のような造像銘が発見された。
大願主 僧栄金 興法大師作仏之楠少々
此中作入者也 建治元年才次乙亥七月廿
五日 大日如来尊始作 大仏師東大寺流
僧 □□
これによれば、大日如来像は鎌倉中期の建治元(一二七五)年七月二五日より「大仏師東大寺流」の僧某によって作り始められたことが分かる。
ところが、大日如来像の面相が、立間大乗寺の地蔵菩薩像と類似しているので、両像の作者は同一人物で、大仏師東大寺流行慶の作とも推測される。
台座は低い裳懸座。光背は、月輪を表す大形の円光で、径一六二cm、六枚の板を堅に矧ぎ表面は胡粉地、それに二重円光を彩画した板光背である。