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国指定 宇和島城天守

印刷用ページを表示する 記事ID:0002223 更新日:2015年7月1日更新

国指定重要文化財(建造物)

宇和島城天守

 宇和島城天守 一棟

  • 所在地 丸之内
  • 所有者 宇和島市
  • 指定日 昭和九年一月三〇日

 宇和島城に正式の天守ができたのは、藤堂高虎の築城のとき、慶長六(一六〇一)年ころであったと考えられる。
 しかし、そのときのものは今見るものとは異なって、自然の岩盤の上に立つ珍しい形のもので、現存のものとは全く形が異なっていた。
 今の形に建て替えられたのは、伊達氏になって二代宗利が城の大改修をした寛文年間(一六六一~七二)である。
 独立式の天守で、三重(層)三階、白壁の総塗り込め造り。土台から棟までの高さは一五・八m。初層は六間四方、二層は五間四方、三層は四間四方と順次同じ比率で小さくなっており、塔風の形態となっている。正面最上層の屋根には大きな唐破風、その下の二層の屋根には大きな千鳥破風、一層には二つの千鳥破風、更にその下に玄関の唐破風と変化をつけた屋根が白壁に映え、安定感があり、極めて優美な姿をみせている。
 式台のある玄関や建物の周囲、石垣との間に余地を残していること、内部に長押や建具があることなどとも相まって、鉄砲狭間や矢狭間、石落しなどがなく、天守としての武備の要素が薄れて、領主の威容を示すことに重点が置かれるようになった江戸時代の時代相を表現している。
 寛文年間の建築後、万延元(一八六〇)年にも大修理が行われた。昭和三五年より満二か年を費やして大々的な解体修理が行われ、昭和三七年一〇月に完成した。
 この天守は、国内に現存している天守一二棟のうちでも江戸時代の様式を表現した代表的なものとされている。

現存の天守一覧(年代順)

  1. 丸岡城天守(福井県坂井市)、柴田氏、天正四年(一五七六)
  2. 松本城天守(長野県松本市)、石川氏、慶長二年頃(一五九七)
  3. 犬山城天守(愛知県犬山市)、小笠原氏、慶長六年頃(一六〇一)
  4. 彦根城天守(滋賀県彦根市)、井伊氏、慶長十一年(一六〇六)
  5. 姫路城天守(兵庫県姫路市)、池田氏、慶長十四年(一六〇九)
  6. 松江城天守(島根県松江市)、堀尾氏、慶長十六年(一六一一)
  7. 丸亀城天守(香川県丸亀市)、京極氏、万治三年(一六六〇)
  8. 宇和島城天守(愛媛県宇和島市)伊達氏、寛文六年頃(一六六六
  9. 備中松山城天守(岡山県高梁市)、水谷氏、天和元~三年(一六八一~一六八三)
  10. 高知城天守(高知県高知市)、山内氏、寛延二年(一七四九)
  11. 弘前城天守(青森県弘前市)、津軽氏、文化七年(一八一〇)
  12. 松山城天守(愛媛県松山市)、久松氏、安政元年(一八五四)

 斜体は国宝、他はすべて重要文化財
 城名(所在地)、建立城主、建立年代

藤堂高虎創建天守
藤堂高虎創建天守 復元立面図
復元:三浦正幸(広島大学教授)

天守雛形(模型)(万延元年天守修理時作成)の画像
天守雛形(模型)(万延元年天守修理時作成)

1階にある1間半の武者走りの画像
1階にある1間半の武者走り

社寺建築なみの欄干の画像
社寺建築なみの欄干

3階からの宇和島湾の眺めの画像
3階からの宇和島湾の眺め

武者窓の画像
武者窓

関連情報


文化的景観
埋蔵文化財