ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 新宇和島の自然と文化 > 市指定 金剛山庭園

本文

市指定 金剛山庭園

印刷用ページを表示する 記事ID:0002356 更新日:2019年3月11日更新

市指定記念物(名勝)

金剛山庭園金剛山庭園

  • 所在地 宇和津町
  • 所有者 金剛山大隆寺
  • 指定日 昭和三八年二月一一日

 この寺院はもと金剛山正眼院と称し慶長一三(一六〇八)年ころ板島城主富田信濃守信高が亡父知信を弔うため名僧釈大室を迎えて開山したものである。後に宇和島藩主伊達秀宗により、伊達家菩提所とされ、伊達五代藩主村候が従来の寺地を現在地に移して寺の再興に着手、六代藩主村壽の世の寛政一〇(一七九八)年に現在の堂宇が完成、廉方大和尚を招いて金剛山大隆寺と改められた。

 本庭は再興されて間もない頃に大隆寺隱寮・庫裏・書院等の前庭として築造されたものと考えられ、下部は江戸末期に改造されたとの寺伝があるが、各所に江戸初期の様式を残す傑出した池泉観賞式庭園である。園面積六・六aの地割は、背後の傾斜地と広場を枯山水式表現の庭とし、下段は池泉の庭となっている。

 築山の上部東方に巨石を配した滝を組み、滝の上に「玉澗流」と呼ばれる石橋を架けている。水落石前から渓流をつくり石橋を架け、水を中央広場野筋に導き下の峪に至る。ここにも「玉澗流」石橋の架かった下段の滝があり心字池に落ちている。一筋の峪に二つの「玉澗流」石橋を架けた作庭がここに見られる。

 池は前後からの出島でくねらせた細長い心字形で深くつくられ、州浜があり、水は滝よりの給水で澄み豊富である。護岸は角や面のある大小の色石を巧みに組み亀頭石を配している。対岸へは、左手に土橋を、中央とその右手には分厚い大きい石橋が架けられている。中央の橋もとには富士山形石を始め、どの橋にも必ず大きい橋添石が一石配され他は臥石が組まれている。また庭の中央池畔には巨大な礼拝石が置かれ、これら色石を豊富に用いた池泉の眺めは豪華である。

 また植栽された単独小中の丸刈込は、配石と美的に調和し、特に築山後部境界の東から西へ植え込まれた大刈込籬は、南へ直角に屈折して園の構成を美しく際立たせ強調している。その背後に伊達家墓所を望み、その先に寺領の遠山を望む構えとなっている。

 園の東方に貞享四(一六八七)年八十島治右衛門親隆が寄進した宝形造二層の経蔵があり、その西方の茶室・書院と向かい合う配置となって機能的に結合し、禅寺の奥ゆかしい風趣を端正に表現している。

 本園は石組その他において竜華山庭園と姉妹的な作風がみられる。

(注)心字池=「心」の字をかたどった池のこと


文化的景観
埋蔵文化財