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市指定 土居清良廟

印刷用ページを表示する 記事ID:0002351 更新日:2019年3月11日更新

市指定記念物(史跡)

土居清良廟土居清良廟

  • 所在地 三間町土居中
  • 所有者 龍泉寺
  • 指定日 昭和三七年一一月三日

 天正一五(一五八七)年の秋、戸田勝隆が宇和郡を領し、同年一〇月二〇日これまでの宇和郡領主西園寺公広は、黒瀬(西予市宇和町)の居城を降って九島の願成寺に移った。

 大森城主、土居家一三代の土居清良もまた大森城を出て、土居中村の垣内に草庵を結び、花鳥風月を友として、草鞋を編み、農を談じて悠々自適の歳月を送った。そうして寛永六(一六二九)年三月二四日、享年八四歳の多彩な生涯を終えた。

 法号を「前吏部良山常清大居士」と号し、はじめ迫目の妙覚寺に葬ったが、その後享和三(一八〇三)年土居中の龍泉寺に「龍泉寺殿前吏部良山常清大居士」と号して移した。当代、清良の後裔土居中村庄官土居与兵衛森良が、清良はじめ高祖の遺徳を仰いで、ここに廟を建立した。

 廟は、龍泉寺山門右上の高台にある。内部奥の段中央に、均整のとれた清々しい立派な五輪塔が祀られている。空輪が大きく先がとがっているので江戸期の作である。これが清良の墓碑である。その左手に、供養塔が祀られていて、それには次のような刻字が見える。正面に「土居氏高祖歴代之塔」、右側に「享和三癸亥年十月日」、左側「奉書写法華八軸清良君祖廟不知在處仍立之祠此謹誌」、背面に「願主当邑庄官森良」とある。

 なお、創建当時の廟宇の様子は分からない。棟札によると、明治四〇(一九〇七)年三月に再建されたが腐食がすすみ、平成一八年九月、前の規格通り、三・一三平方メートル、桟瓦葺宝形造、向拝付き廟宇を土居中自治会が新築した。

清良の五輪塔と土居氏高祖歴代の墓
清良の五輪塔と土居氏高祖歴代の塔


文化的景観
埋蔵文化財