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市指定 太宰遊淵の墓

印刷用ページを表示する 記事ID:0002350 更新日:2019年3月11日更新

市指定記念物(史跡)

太宰遊淵の墓太宰遊淵の墓

  • 所在地 三間町黒井地
  • 所有者 個人
  • 指定日 昭和三七年一一月三日

 太宰遊淵は、黒井地の雄、太宰数馬義政の五代の孫で、本名太宰喜左衛門定義といい、中山池構築に功績があった。遊淵は、四代太宰新三郎義延の後を継ぎ、黒井地村庄屋職を拝命した。遊淵の号も宇和島藩より贈られたものといわれる。

 古来この地方は水利の便が悪く、多くの土地が荒蕪であることを歎いた遊淵は、溜め池を築いて潅漑に資することを図った。遊淵は、農工に精しく水利にも察らかであった。

 宇和島藩の庇護のもと、寛永四(一六二七)年中山池の工を起こし、寛永七(一六三〇)年竣工した。

 工事は、予想以上の難工事であったため、遊淵の苦悩も一方でなく、最後は現在の墓地の在る所に静座し、鐘を打ちならしつつ弥陀の名号を唱えて完成を念じ、遂に鐘の音次第に弱まり、竣工日鐘の音の止むと同時にそのまま入定したとも伝えられる。

 爾来、黒井地の一部、戸雁、宮野下、務田、迫目の田地を潤すこと数一〇町歩。郷民互に旧来の水利慣行を遵守して侵すことなく、三間地方の中心をなす美田は殆どこの池の恩恵に浴している。

五輪塔の墓石 遊淵の墓は、池の堰堤が望まれる中山池右手の小丘にあり、高さ約一一五cmの五輪塔である。

 五輪塔は、高さ五五cm、方二三〇cmの石組みの墓地の中央に据えられた反花の台座の上に、四方に梵字をもった立派な五輪塔である。地輪に寛永一五年と勒されている。

 今日でも毎年秋の彼岸の中日には、関係者がこの墓前に集い「遊淵祭」として、その遺徳をしのんでいる。

 明治二四(一八九一)年遊淵の勲功の堙滅を危惧された太宰家各位によって、記念碑が中山池のほとりに建立されている。

 なお、遊淵の命日は、寛永一五(一六三八)年四月一〇日。
法名 義徳院信蓮遊淵居士


文化的景観
埋蔵文化財