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市指定記念物(史跡)
藤治駄馬旧藩造林石碑
宇和島藩は財政上の目的で造林に力を注ぎ、『伊達家御歴代事記』及び『家中由緒書』にも、宝暦三(一七五三)年に松川善太夫及び門多宇左衛門の両名が山奉行を仰せつけられた旨が記されている。また、農林省編纂の『日本林制資料』にも天保・嘉永・安政・文久(一八三〇~一八六三)年間の関係記録が収められている。
現在でも当時植樹されたと思われる木の切株が残っており、その施業の確かさと苦心の跡をしのぶことができる。このような藩政時代の造林碑が残っているのは全国的にも珍しい。
現存する石碑は大超寺から奥へ急坂を登ること約二kmの藤治駄馬の急傾斜面に建っている。高さ一・七m、幅約〇・五mで
杉林一座 從一百貮拾貮歩 横一百六拾三歩
宝暦乙亥 営之管之者松川光寛 門多能定二
人 栽之者中城盛長 小笠原長久 其子長治
三人 實共始終其事云
と刻まれている。