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市指定 宇和島藩主伊達家墓所

印刷用ページを表示する 記事ID:0002317 更新日:2019年3月12日更新

市指定記念物(史跡)

5代藩主伊達村候の墓宇和島藩主伊達家墓所

  • 所在地 野川 龍華山等覚寺
     宇和津町 金剛山大隆寺
  • 所有者 伊達家
  • 指定日 昭和三六年一一月三日

 初代秀宗ののち二・三・四代とひきつづいて龍華山等覚寺に葬られていたが、五代村候は生前から金剛山正眼院を自分の墓所と定めていたので、その没後に正眼院は村候の法名により大隆寺と改名された。以来、六・八代は龍華山等覚寺(臨済宗)に、七・九代は金剛山大隆寺(臨済宗)にと交互に葬られて、いずれも市の史跡に指定されている。(但し初代秀宗夫妻と八代宗城夫妻の墓は県指定史跡)

 なお歴代藩主の夫人の墓も、大部分は両寺にあるが、二代夫人の墓は、もと野川にあった安国山大通寺(黄蘗宗)に葬られていたのだが、同寺が廃寺になったのち大隆寺に移され、四代夫人の墓は神田川原の法円寺(日蓮宗)にある。

 また正室ではないが、二代藩主の生母の墓は大超寺奥の大超寺(浄土宗)に、四代藩主の生母の墓は法円寺にあり、丁重に祠られている。

 龍華山等覚寺(野川)・金剛山大隆寺(宇和津町)・安国山大通寺(今は廃寺)の三寺は、いずれも藩主または藩主夫人の法名を寺の名前としている。それで、寺名を呼ぶと藩主や夫人の法名を呼びすてにすることになり無礼に当たるというので、藩では、この三寺は寺名を呼ばないで、山号を称するように命じた。それで宇和島では今でも金剛山・龍華山といっている。

歴代藩主・夫人の墓一覧表

藩主
夫人
没年月日 墓所
初代 秀宗
井伊直政の娘、亀
万治元年6月8日
寛永7年8月7日
等覚寺
正眼院(現:大隆寺)
二代 宗利
松平光長の娘、稲
宝永5年12月21日
宝永6年2月29日
等覚寺
大通寺(大隆寺に改葬)
三代 宗贇(仙台綱宗の三男)
宗利の娘、三保
正徳元年2月18日
元禄10年11月22日
等覚寺
等覚寺
四代 村年
仙台 吉村の娘、富
享保20年5月28日
延享4年6月20日
等覚寺
法円寺
五代 村候
鍋島宗茂の娘、護
寛政6年9月14日
寛政元年6月20日
大隆寺
大隆寺
六代 村寿
仙台 重村の娘、順
天保7年3月10日
文政3年6月29日
等覚寺
等覚寺
七代 宗紀
鍋島治茂の娘、観
明治22年11月25日
明治3年12月18日
大隆寺
大隆寺
八代 宗城(山口直勝の二男)
鍋島斉直の娘、猶
明治25年12月20日
慶応2年2月18日
等覚寺
等覚寺
九代 宗徳
毛利斉元の娘、孝
 (没後)佐竹義厚の娘、佳
明治38年11月29日
嘉永6年1月14日
明治元年6月2日
大隆寺
等覚寺
等覚寺

伊達家墓所略図

6代伊達村寿夫妻の墓(龍華山等覚寺)の画像
6代伊達村寿夫妻の墓(龍華山等覚寺)

7代伊達宗紀夫妻の墓(金剛山大隆寺)の画像
7代伊達宗紀夫妻の墓(金剛山大隆寺)


文化的景観
埋蔵文化財