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第4回「故郷」

印刷用ページを表示する 記事ID:0014475 更新日:2016年11月21日更新

故郷

 今年もあと一か月半となった。月日の経つのは本当に早い。子どもの頃は、12月になると「もういくつ寝るとお正月~」とウキウキしながら、お正月に集まってくる親戚の子ども達と遊ぶカルタ、トランプ、羽子板等を用意していたものだ。

 なんで大人と子どもの間では、時間の感覚がこうも違うのであろうか?不思議だ。

 小学生の頃、転校生が先生に連れられ、教室の前で挨拶しているのを見て、とても羨ましく思ったものだ。私の家は島根県の山間部で商売をしていたので、転校の可能性は全くなかった。短めの半ズボンをはいたりしてちょっと垢抜けた感じの男の子や、すらっとしたスタイルの可愛い女の子が転校生としてやってくると、あこがれの目をもって見つめていた。

 「転校生は漫画のストーリーみたいに、なんでいつも可愛いのだろう?」不思議だった。

 「自分の暮らす環境が全部変わるなんて、どんななのだろう。」想像できなかった。

 「私は一生、この田舎の小さな町で暮らさなければいけないんだ。」わが身の運命を恨んだ。

 だんだん大きくなっていくと、自分の把握できる世界も大きくなり、高校を卒業すれば町を出て、都会で暮らせるチャンスがあることが分かってきた。

 18歳の時、大学進学で“息苦しかった”故郷をいよいよ離れることになった。

 いよいよ親元を離れる日が近づいたある日の夕方、古いノートや今までのなんやかやを五右衛門風呂の焚口で一つ一つ燃やしていた時、ふと振り向くと、寂しそうな母の顔があった。が、親の心子知らずで、私は親から離れる開放感と自分の世界が根こそぎ変わるワクワク感で一杯だった。

 あれから40数年、今まで兵庫県、千葉県、愛媛県、千葉県と住処を変えた。すべて学業、仕事上の理由だったので、住む土地や、ライフスタイルを自ら主体的に選択して決めたことは、今だ一度もない。流れのままに移り住んできた。

 人生後半に差し掛かり、「終の住処」をどこにするか選択する時がやってきている。車を運転出来ないので、どこへでも自由に移動できる今の環境は捨てがたいが、もっと年を重ねたら、私は何を「第一」に考えるようになるのだろうか?

 若き日に、あれほど嫌で飛び出した生まれ故郷にもう一度帰り、そこの空気を毎日吸っていたいと思うかもしれない。


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