ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

美術館・記念館 畦地梅太郎のあゆみ

印刷用ページを表示する掲載日:2015年10月1日更新

梅太郎のあゆみ

1902年12月28日 愛媛県北宇和郡二名村(現在の宇和島市三間町)に生まれる。(明治35年)
1918年故郷を出る。上京途中、大阪で長兄に勧められて中国航路の貨物船で働く。(16歳)
1920年上京。新聞配達・配送などの仕事をしながら正則英語学校に通う。
1922年画家になることを志して、日本美術学院油彩画の通信教育を受け始める。(20歳)
1926年内閣印刷局に勤務しているとき、鉛版による版画を試みる。
この版画を平塚運一に見てもらう。平塚は作品を高く評価し、版画を続けるよう激励した。
この頃から、平塚運一の指導、恩地孝四郎の影響を受けながら版画の道に入るようになる。(24歳)
1927年日本創作版画協会展に初出品し、入選。
内閣印刷局の仕事を辞め、先輩版画家の摺りを手伝うことなどの仕事を手がける。
1930年第2回内国美術展で国際賞受賞。第11回帝展への出品を果たす。
1932年日本版画協会の会員となる。
1933年棟方志功・中谷安規ら8人と春秋会を結成。
1936年最初の自摺版画集「伊予風景」の頒布を行う。
1937年国画会第12回展での国画奨学賞受賞。
1940年国画会第15回展で2度目の国画奨学賞受賞。
山の表現に新しい手法を見出す。
1952年国画会秋季展に初めて山男像の作品を発表する。
1953年第2回サンパウロ・ビエンナーレに日本代表として出品。
宇和島市立図書館が、第1回畦地梅太郎版画展を開催。
1955年斎藤清・駒井哲郎らと現代版画5人展を開催。
1956年第4回スイス・ルガノ国際版画ビエンナーレに招待出品。
1957年第1回東京国際版画ビエンナーレに出品。
スイス・シクロン国際木版画トリエンナーレに出品。
第4回サンパウロ・ビエンナーレに出品。
1962年第3回東京国際版画ビエンナーレに招待出品。
1965年米国カリフォルニア州サンタマリア市で個展開催。
1966年スイス・ジュネーブの「日本現代版画」展に出品。
1973年「とぼとぼ50年 畦地梅太郎展」を愛媛県美術館で開催。
1976年日本版画協会名誉会員となる。母校二名小学校に畦地梅太郎の顕彰碑建立。
1985年愛媛県教育文化賞受賞。愛媛新聞社賞受賞。
1986年三間町名誉町民となる。
1988年南海放送サンパーク美術館・畦地梅太郎記念美術館開館。
1991年町田市立国際版画美術館が「畦地梅太郎版画展」を開催。
1993年よんでん芸術文化賞受賞。
1998年東京都町田市名誉市民となる。
1999年南海放送サンパーク美術館が「とぼとぼ96年畦地梅太郎展」を開催。
4月12日 肺炎のため死去。
  
 2000年サンパーク美術館が回顧展を開催。
 2001年町田市立国際版画美術館が「生誕百年記念畦地梅太郎展・山のよろこび」を開催。
 2002年サンパーク美術館が「生誕百年記念展」を開催。
 2003年愛媛県北宇和郡三間町(現在の宇和島市三間町)に畦地梅太郎記念美術館開館。
 2009年愛媛県美術館が「畦地梅太郎展 山のいのち、人のぬくもり」を開催。